「絵描きをしてます」と言うとほとんどの方は、初めて遭遇した珍しい生き物でも見るかのような目つきで
「いいお仕事ですねえ」と好意的な言葉をかけてくれます。
しかしそうおっしゃるご自身については「絵は苦手で」とか「美術館には行ったことがなくて」
などと、少々残念な事をおっしゃることが多いのです。
繰り返し述べてきたように、絵を描くことはそれほどハードルが高いものではないですし、
たとえ描かなくとも絵を鑑賞して楽しむことは自由です。
人類が累々と積み重ねてきた美術の遺産や、いま頑張っている画家たちの作品を楽しめないということは
文化を享受する権利をはなから放棄していることになってしまいます。
ヨーロッパの国々に比べて日本は、まだまだ美術文化に対する関心や、それらを育成しようとする意識が低いようです。
かつてバブル期には先を争って美術品を買い漁った日本人たち。景気が悪くなると途端に見向きもしなくなりました。
投資の対象としてしか興味がなかったということでしょう。
パリの美術館では
私の師がパリで回顧展を開いたときのこと。
師が会場にいると、学校の先生に連れられた子供たちが毎日のように展覧会を観に来て、
子供たちを絵の前に座らせて先生が説明をするのだそうです。
師は「日本で展覧会をするのとだいぶ違いますね」とおっしゃっていました。
日本で同じことをしようとすると、安全面の観点や年間スケジュールの問題から学校が許可を出さない、
次いで美術館も、子供たちで騒がしくなることを快く思わない・・・ というハードルがあります。
かつて私は私立小学校で図工の授業を担当していましたが、
年数を経るに従って、自分は種まきをしているのだと思うようになりました。
絵のじょうずな子供を育てて画家を育成するのではなく、
この子供たちみんなが大きくなったときに、絵が上手でも良い、苦手でも良い、描かずとも絵を観ることは嫌いでない。
そんな人間に育ってもらうために今どのような授業をおこなえばよいかという工夫をしてきたつもりでした。
子供たちにいっぱい種を蒔いて芽が出るようにし、文化を享受し豊かな人生を送ってほしいと願っていたのです。
さらに教育に言及するならば、以前のコラム「絵はじょうずに描けなくてよい」で触れたように、
小学校の図工という教科は、算数や体育といった教科と同じように
人生を乗り切ってゆく能力を身に付けるために用意されたツールのひとつです。
絵がじょうずな子をほめて評価し、じょうずに描けない子を叱咤して訓練するものではありません。
図工の授業も入念な準備が必要
ですから当たり前のことですが、図工という教科を利用して子供たちを学ばせるためにはそれなりの準備が必要です。
算数や国語などの教科では、先生たちは事前に授業の準備をし、
子供たちに良い教育をしようと工夫し、学習の成果を上げ、正しく評価する。
場合によっては研修会などで先生自身の教育技術を磨いて現場に還元します。
図工に対してもそのくらいの真剣さを持っておられるでしょうか?
そもそも先生方は図工に対して苦手意識を持っていないでしょうか?
さきほどちょっと美術館の悪口を書いてしまいましたが、
近年は子供たちへの美術教育について意識が変わってきている美術館が増えました。
出前授業を頼むと、学芸員の方が喜んで出向いてくれたり、
夏休みに美術館に行くと、子供料金が無料になっている上にお土産までついてくることもあります。
学校の先生にやる気があれば、美術館もそれに応えてくれるはずです。
行政が作成した図工の学習指導要領では、実は鑑賞教育がかなり重視されています。
図工教育を真剣にとらえて授業をおこなう先生が増えれば、
きっと未来の日本人の美術に対する意識はかなり変わってゆくでしょう。
経済に直結しない学習を切り捨てようとしている今の日本。
図工や美術の授業時間を減らし続けている教育現場。
未来の日本文化を担うべき子供たちへの美術教育はこれでいいのですか?