師のスケッチブック

私の師である松尾敏男先生。晩年は特別に用意した大判の和紙に写生をしておられましたが、
同時にスケッチブックも頻繁に使われ、おびただしい冊数を残しておられます。

師の没後、その全てを拝見する機会をいただきました。
スケッチブックに描かれていたのは、旅先の街角で時間をかけて詳細に描いた風景。
あるいは限られた時間を惜しみながら素早く簡潔にとらえた山々。
動物たちのさまざまな姿態をとらえたページ。延々と何枚にもわたって描き留められた花々など
ジャンルを問わずあらゆるものが描き留められていると言っていいほどです。
目を魅かれたものには臆せず向き合った痕跡がありありと残されていました。

スケッチブックのほとんどが8号や10号という、市販品では最大のサイズである上、
ページを繰っても繰ってもなかなか見終わらず、1日では到底全てに目を通すことができないほどでした。
見るだけでもこれほど時間がかかるのに、これらを描くために費やしたであろう膨大な時間に思いを致すと、
忙しい毎日の中で師がどのように写生の時間を割いていたのか、どのような思いで鉛筆を走らせていたのか、
あらためて大きな学びと課題をいただいたような気がしました。

思い起こせばかつて、雪の降り積もった日に松尾先生のご自宅の隣り駅で
スケッチブックを抱えた先生と出会ったことがあります。
ご自宅の場所からするとそれはずいぶん遠回りの道のりになるはずなのですが、
「雪が降ったから何か描けるかと思って出かけてきた」とおっしゃる先生は、結局何も描かずにお帰りになったそうです。
「寒いから」とか、「やることがあって時間がとれないから」ということを理由にせず、
無駄足を厭わずに、心を動かされる対象との出会いを常に求めておられた松尾先生の姿勢を感じた次第です。

残されたスケッチブックの山の中には、
師が初めて院展で大観賞を受賞なさった作品「廃船」のために北海道で取材した船の写生や、
ご自身の師である堅山南風先生を描いた貴重な写生など、お馴染の名作の元となったものもあり、
作品が生まれるまでの生々しい過程を目の当たりにした思いでした。

画家は多くの写生を繰り返し、その中でタブロー(本制作)に使われるのはごく一部です。
ほとんどの写生はそのまま死蔵されてしまうのですが、
心を動かされたものを紙に描き留めておく、描かずにはいられない画家の習性があり、
タブローに活用されないままの多くの写生は画家の芸術性を支える大切な源なのです。

松尾先生もまたその道をしっかりと歩んでおられたのでした。

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