輪廻転生を描きたい

バイクシリーズを描くようになった経緯は既出のコラム「初入選 その2」などで書いていますが、
初めはバイクの造形美や自分のバイクに対する興味関心を作品に込めていたのだと思います。
そのうち、道端にうち捨てられたバイクなども描くようになると、
これらの題材を通して輪廻転生を表現してみたいという構想が浮かび上がってきました。

ところで、ビッグバンから始まった宇宙に最初存在していた物質は、ほとんどが水素だったと言われています。
それが恒星の活動によってヘリウム、炭素、酸素、あるいはその先の重い物質へと合成され、
惑星や生命の誕生へ繋がることになりました。
でもそれらの物質も星の活動の終焉によっていずれは宇宙に散らばり、
新たな星の誕生へ再構成されるといった輪廻転生を繰り返します。
つまりどのような物質も、あるひとつの状態にとどまることがなく、
有り様を変えながら気の遠くなるような歳月をめぐるわけです。

私が描いていたバイクシリーズは「輪廻転・・・」まで進んだところで自分の描きたいテーマが風景や人物に移行し、
しばらくストップしていました。
構想を胸に秘めながらも何年か過ぎ、2016年の秋の院展に出品する作品を考えなければならないときに、
いよいよシリーズの最後を飾る「転生」を描こうと決めたのです。

初入選の頃の時代は道端にうち捨てられたバイクもたびたび目にしましたし、
バイクを山と積み上げた処分場も関東近県にあったのですが、
時代が変わりそのようなものを見つけることが難しくなっていました。手を尽くして探し回り、
平塚市のとあるバイク店でようやくイメージ通りのジャンクバイクを見つけることができました。
それは水没したために塗装も痛み、錆も浮き、まさに「土に還らん」としている姿でバイク店の裏庭に置いてあったのです。エンジンは外されてフレームの中央部がぽっかりと空いていたので別のエンジンを単体で写生し、
画面上で組み合わせることで不自然さを補ったのでした。
バックに配する草や花も入念に何枚も写生し、「小下図」という習作を描いて研究会に持ち込みました。
その年は師匠の松尾敏男先生が体調を崩されていて研究会にはおいでにならなかったのですが、
帰りにお見舞いに伺った病院で小下図を見ていただくことができ、
「牧野君の好きなものを描くのだから心配ない。思いきりやりなさい。」と励ましていただいたのでした。
しかし先生は翌月の8月4日に亡くなられたのでその時が最後の対面となってしまったのです。
弔い合戦のつもりで描いたその「転生」は、自分の作品の中で最も気持ちがこもったひとつとなりました。

「転生」本画作品
「転生」2016年