レーサーレプリカブームの80年代
私たちが高校生だった1980年代、折しも世の中はバイクブームで、
しかもレーサーレプリカと呼ばれる、サーキットを走行するレーシングマシンを模した、
スタイルも性能も過激なバイクが全盛でした。
メーカー各社はしのぎを削ってサーキットでのレースに勝利しようとするとともに、
市販車も毎年新型を発売し、ぐんぐん性能を高めていったのでした。
自分も友人たちの影響でバイクにのめり込み、原付免許をとって実家のスクーター(ヤマハ パッソル2)を乗り回し、
大学に入ると50ccのスポーツバイク(スズキRG50)に乗り換えました。
さらに翌年は中型二輪免許をとり、
友人からスズキのRG250ガンマを譲り受けたのでした。
1983年に発売されたガンマはレーサーレプリカブームの火付け役で、
それまで市販車には許されていなかったセパレートハンドル(ハンドル左右が別々のパーツになっている)や、
フルカウル(車体を大きく覆うカバー)が装備され、
出荷時にはフランスのミシュラン製高性能タイヤが付いているという、
それまでの日本製バイクの概念をひっくり返すようなマシンでした。
乗り味はまさにじゃじゃ馬で、2ストロークエンジンのピーキーな性格(高回転になると一気にパワーが出る)に加え、
峠道などではすぱっと思い切り良くバンクさせないときれいに曲がってゆきません。
しかし乗りにくさはあるものの、そういうレーシングマシンぽい部分がユーザーに受けたのです。
2年余りガンマに乗ったあと、次に乗ったのはホンダのNSR250R(88年型)でした。
これはレース用のRS250と同時に開発され、ガンマよりもさらに
レーシングマシン然としたスタイルと高性能を誇示したバイクでした。
車体にまたがると低いハンドルのために前傾姿勢となり、足を載せるステップも高い位置にあったので
これでツーリングに出かけるのはかなり無理があったのですが、
大きな荷物を積んで北海道をひとまわりしたのも良い思い出です。
ガンマに代表されるように、本来2ストロークエンジンというものは
馬力の出方がピーキーなのが当たり前だったのですが、
NSRはまるで4ストロークエンジンのように、低回転からアクセルを開けてもちゃんとパワーがついてきて、
初めて乗ったときの驚きは忘れられません。
限定解除に合格して大型バイクに乗る
大学院を卒業する前に限定解除の試験を受け、大型二輪免許を取得しました。
当時の限定解除の試験は難関で、合格率が数パーセントとも言われていました。
自分も教習所で練習を繰り返し、4回目の挑戦で合格、免許証の裏にハンコをもらってナナハンライダーの仲間入りです。
運良く買えたバイクはスズキGSX-R1100(89年型)。
その名の通り排気量1100ccの、ナナハンよりも大きなリッターバイクです。
実に最大138馬力を発揮し、低速域でも力強い上に、
最大出力のあたりになるとその重量を感じさせないほどの暴力的なパワーが解放されるモンスターでした。
スピードメーターは300km/hまで目盛りが設定されており、本当にそのくらいのスピードを出すことができたようです。
(もちろん私は実証していません)
近年のバイクはとても洗練されたスタイルですが、自分は当時のバイクの武骨なデザインが大好きで、
今でも雑誌などで見かけると胸が高鳴ります。
以前のコラムにも書いたように、自分の愛車を絵に描いて大学院の修了制作とし、
それが秋の院展の初入選に繋がったので、
ただ趣味で楽しく乗っていただけでなく、バイクは制作活動への大きな転機にも貢献してくれたのでした。