「故郷の恩」前編

今回はエッセイを掲載します。
小諸・佐久地方の教育関係者に毎年配布されている「佐久教育」の
第53号(2018年)に掲載していただいたものです。
長文ですので2回に分けてご紹介します。

絵描きの暮らし

 朝は郊外電車に乗って出勤する代わりに冷蔵庫から「にかわ」を取り出して、
電熱器に乗せたボウルの湯で湯煎する。
壁面いっぱいに取り付けた手作りの絵の具棚から岩絵の具の入ったビンを
いくつか選び出し、その美しい色を眺めながらどれを塗ろうかと思案する。
色が決まったらにかわで溶き、筆で画面に重ねてゆく。
ときには庭に出たり車で遠出して季節の草花や風景を写生するのも、
仕事と呼ぶにはあまりにも幸せすぎる時間だ・・・ 
そんな日本画家としての暮らしをもう長いこと横浜市で営んでいるが、
自分の制作の源となる感性はすでに生まれ故郷の小諸において、
その風土や人々によって育まれていたことをこのごろ強く感じるようになった。

小諸の四季

 小諸なる古城のほとり・・・
あまりにも有名なその一節で語られることの多い小諸市は、
言うまでもなく浅間山と千曲川に挟まれた傾斜地で発展してきた宿場町だ。
市立の美術館が建つ飯綱山から、山裾に張り付くような市街地の全貌を望むことができる。
 少年期に急坂を登って毎日通った坂の上小学校から西の方角を見ると、
はるか遠くで輝く北アルプスの白い峰々。
振り返れば行く手を阻むかのような浅間連山が、
ときには落日に赤く焼かれて次第に赤紫から漆黒に色を変えてゆく。

 芦原中学校の、床の抜けそうな旧校舎で仰ぎ見た、どこまでも深い紺碧の空。
最大光度の金星は日中の空でも見つけることができると天文雑誌で読み、
針の先で突いたようなその光を見つけて友人と声を挙げていると、
それとは知らない大勢の生徒たちもつられて青空を見上げていた。

 青葉の季節には新緑の鮮やかさが目を射るようだ。
小諸城趾懐古園の紅葉もまた見事な秋の彩りを演出するのだが、
その錦色からは冬に向かう乾いた葉の匂いが感じさせられて淋しさがつのる。
そういった自然の美しさを全身で受け止めながら暮らした十八年間は、
自分が絵を描くときに選択する色のひとつひとつ、刷毛で塗るひと塗りひと塗りに、
今でも大きな影響を与えているのだと思う。

全身で感じ、描く

 絵を趣味とする方々(場合によっては専門家でさえ)の中には、
写真を参考に見ながら描くという人もおられるが、私はそれには賛成できかねる。
口幅ったい言い方を許していただければ、絵を描くといった「芸術活動」は、
そのほとんどの部分が人間の感性に依存していることは異論のないところであろう。
しかし写真を見て描くということは、人間の五感のうち視覚にしか頼っていない。
視覚・聴覚・触覚・嗅覚・ときには味覚からも刺激を受けて触発されるのが
人の本来のありようだと私は信じる。
各々が体験した事柄は、眼で見ると同時に感じた音、風、匂いまでも
無意識のうちに取り込んで、その印象を形成しているのではないだろうか。

 現代の子供たちはパソコンやスマホの視覚情報ばかりに依存し、
「実体験が少ない」と言われる。
私自身常に自分に言い聞かせていることは、「現場に行け 手を動かせ」である。
旅先で描きたいのに時間がない。しかし五分間しかないならスケッチブックを
開いて五分間描けば良いではないか。三十分の余裕があるならなおさら結構。
その場の臨場感を味わいながら余計なことを考えず、五感を鋭敏に研ぎ澄ませながら、
二度とめぐり逢えないその刹那を楽しむのである。

 とかく我々現代人は賢く先を読みすぎるきらいがある。
「うまく描けなかったら恥ずかしい」
「教えてもらわないとわからない」
「スケッチブックに余白ができたらもったいない」
「期限までに時間が足りないからできないだろう」などなど。
芸術活動は相対的でなく主体的なものである。
主観が尊重されるべきなのだから、とりあえずは自分がやってみようと思うことをやってみればよい。
人に見せる必要はないし、中途半端にしか描けなくとも誰も責めはしない。
一昨年亡くなられた私の師匠は
「時間がなければ線一本でも引いたら良い。」
と、よくおっしゃっておられた。

(内容は2018年時点のものです)

・・・後編へ続く