漫画家になりたかった その2

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予備校通い

美大へ現役合格を果たせなかった私は、
幸い親の支援を受けることができ浪人生活を始めました。
東京で下宿しながら予備校へ通うのですが、
そこには1浪・2浪・・・5浪などという猛者もいて
皆芸大や美大を目指して毎日8時間ひたすら絵を描き続けるのです。
当時は日曜日のみ休日でしたから、週6日、受験の直前ともなると
夜間の講習も受講して、帰りの時間にはもうへろへろです。
この時期がいちばん絵を描いていたかも知れません。

幸い1浪の終わりに多摩美術大学に合格することができましたが、
競争率の高い美大受験で合格発表の掲示を見たときはとても不思議な気持ちでした。
30名ほどの合格者番号が並んでいる一覧表で、当然番号は飛び飛びになるわけですが、
その飛び方が、例えば8番の次がいきなり23番・・・といった極端な飛び方なのです。
数少ない数字の中に、前後の関連もなく自分の番号が突然記されているのは
まさに神様のおぼしめしとしか思えませんでした。

多摩美術大学へ入学

美術大学に入学したのは漫画家になりたいからという夢を抱いてのことですから、
学生生活を送りながらもアパートには漫画の原稿用紙や用具1式を置いていました。
けれども遠い親戚である松尾敏男先生が奇しくも多摩美の教授に就任され、
私のクラスを担当してくださるという、これまた神様のおぼしめしであるかのご縁が、
私を次第に日本画家への道に導いてくれたのでしょうか。
置いてあった原稿用紙にペンを走らせることはとうとうありませんでした。

余談ですが、画家になって九州の百貨店で個展を開いていただいたとき、
下の階で九州出身の漫画家の関連商品を展示即売していました。
そこに「メーテル」の美しい横顔を描いた松本零士さんの色紙があり、商談して購入寸前まで至りました。
直前で思いとどまったのは、その金額があれば縁を頼ってご本人を一席ご招待し、
直接色紙を描いてもらうこともできるかなと思ったのですが、
今となってはかなわぬ夢となってしまいました。