現在日本画は、厚手の和紙に描かれるのが一般的です。
「雲肌麻紙」が多く使われている
それらの和紙の中でも最も広く普及しているのは、福井県で生産される
「雲肌麻紙(くもはだまし)」と呼ばれる紙です。
それら日本画用の和紙は「楮(こうぞ)」「雁皮(がんぴ)」
「三椏(みつまた)」など植物の樹皮を原料としています。
雲肌麻紙の製法についてはこちらのコラムをご覧ください。
さて、実は日本で絵を描くために紙が使われるようになったのは
さほど古い話ではありません。
中国から伝来した製紙法は、当初は文字を記すための紙を作る技術として
普及しました。
その後日本において技術改良がなされて品質が良くなり、
薄くて丈夫で美しいという利点を備えるようになってからは
ものを包んだり器物となったりするなど用途が広がりましたが、
依然なにかを記す用途としては主に写経や記録など、
文書を目的としたものが大多数でした。
絵巻や版画にも使われていたものの、大正・昭和時代に入るまでは
絵を描く用途としては描きやすさや品質で絹に一歩譲っていたようです。
太平洋戦争ののち「日本画滅亡論」と呼ばれる、日本画の存在価値が
否定される動きがありました。
敗戦のショックとその後のアメリカの影響により日本文化は
西洋文化に劣ると考える人が増え、
「床の間芸術」である日本画も衰退してゆくであろうとされたのです。
そんな中、先人の日本画家たちは西洋の造形理論・絵画理論を取り入れて
日本画の近代化を進めました。その流れで必然的に画面も大きくなり厚塗りになり
それを支えることのできる支持体として厚い和紙が多用されるようになってきました。
絹に比べて滑らかさで劣っていた紙も改良が重ねられることで
さまざまな画法に応じられる良質な製品として認められるようになったのです。
さまざまな日本画用紙
雲肌麻紙以外にも表現に応じていくつかの紙が使われます。
「鳥の子(とりのこ)」はたいへん滑らかで丈夫な用紙です。
等級によって、雁皮・三椏・あるいはパルプが配合されます。
鳥の子・・・すなわち鶏卵のようなクリーム色がかった白色であることから
このように呼ばれるようになったようです。
「画仙紙(がせんし)」は薄手の紙で水墨画にも使われますが、
表面に「目」があることと、絵の具がにじむことから、
表現によっては使いにくい場合があります。
原料は製造方法によってさまざまですが、
いずれも画仙紙独特の風合いを実現している点では共通です。
その他にも「白麻紙(しろまし)」「土佐麻紙(とさまし)」「楮紙(こうぞし)」
「雁皮紙(がんぴし)」など多くの種類の紙があり、画用として、
あるいは裏打ちなどの用途に使われるために画材店で販売されています。
他の画材と同様、日本画を描くための基底材も時代や表現の変化に合わせて
移り変わってきました。
自分も思い起こせば学生の頃はベニヤ板に直接描いたり、
さまざまな紙を貼り重ねた上に描いてみたりと
自分なりの表現を見つけようと実験的な制作をしたものでした。
これからも日本画が発展する限り新たな用紙や基底材が
工夫され使われてゆくでしょう。