このコラムは前回の記事を踏まえています。
前回の「絵はじょうずに描けなくてよい」はこちらです。
絵を描く人の中にもさまざまなタイプがあると思いますが、
私は気持ちで描くタイプです。
もちろん気軽な気持ちでスケッチしたり、それほど描きたくなくても手を動かすこともありますが、
ここ1番というときには気持ちが入っていないと絶対に良い結果が出ません。
師の言葉
師匠の松尾敏男先生が生前、私についてご家族に話していたことだそうですが、
私たち院展に出品する門下生たちは、出品前に師匠に作品を指導していただく
「研究会」という会をおこなっていただいていました。
研究会で全員の作品を指導してご帰宅された師匠が、その日の様子をたずねたご家族に
「牧野君は気持ちで描くタイプだから、心から描きたいものを描いているときは好きにやらせておけばよい」
とおっしゃっていたそうです。
そういうときの私の作品はうまくいっている場合で、
研究会で師は私の作品を見るなりすかさず、2、3の点を指摘されるだけで簡単に指導が終わっていました。
逆に作品が良くないときは、私の作品をじっと見たまま何と言おうか考える風にしばらく黙ったままなのでした。
描きたいと思ったら即、紙に向かう
多くの方々は絵を趣味で描いていると思います。誰にも強制されず、ただただ楽しむべく描いていますよね。
何かに束縛される必要がないわけですから、描かなければいけない などと思わず描きたいときに描けばよいでしょう?
描きたいという気持ちの強いときほど良い結果になるはずです。
え? 描きたいときに限って時間がない?
それならば手近にある紙に線1本でも引けばよいのではないでしょうか。
1本の線が地平線になり、樹の幹になり、風になります。
知り合いの会社経営者の方がおっしゃっていました。
その方はプラモデルを作るのが趣味なのですが、夜中に疲れて帰ってきてふと、
このプラモデルをこういう色で塗ったらよいかもしれない と思い立つと、
道具一式を持ってまた会社に戻り、屋上で塗装を始めるのだそうです。
やりたいと思ったら 即 行動ですね。見習いたいものです。
絵を描いてみたい方へ
さて、絵を描いてみたい と最初に思ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか。
誰かに褒められたいとか見せびらかしたいという動機ではないはずですね。
純粋に自分のために、自分の創作欲を満たすために描こうとしたはずです。
じょうずに描こうと思わず、描くことを楽しみ、
紙の上にクレヨンを滑らせてゆくときの心地よさを味わう・・・
あるいは水彩絵の具を水で溶いて画用紙ににじませたときの色の美しさを感じる・・・
画材も少しずつ上質なものを使うようになり、その色の美しさ、使い心地の良さに満足しながら
何枚も描いてゆくうちに次第に技能が向上してゆきます。楽しいですよね。
しかしいつの間にか気持ちが移ろいゆくことがあります。
もっと上手になりたい。
人に褒められたい。
時間もないし面倒だから写真を参考に見ながら描こうか・・・
邪念を抱かない
絵を描くときに必要ない、あるいは障害になる気持ちは以下のようなものだと考えます。
矢印の右は、その障害に対しての対策です。
ちょっと皮肉っぽく冗談で書いている事柄もありますから、あまり真に受けないように願います。
「人に見られたら恥ずかしいし、へたくそと思われるのはいやだ」
→ 人に見せずに隠しておけば恥ずかしくないです。
「うまく描こう」
→ それならば日本で、いや世界でいちばんじょうずになって巨匠の仲間入りをしたらどうでしょうか。
「時間がないから」
→ 線1本引いただけでも絵画です。
「めんどくさいな」
→ 描いてくれと頼んでいるわけではないですから。
「写真を見ながら描いていいですか?」
→ それなら写真を飾っておきましょう。
「画材を持ってないから」
→ 世界中の全ての画材を買い集めてから始めましょう。
「絵が苦手」
→ 好き嫌いは誰にでもあります。でも少し食べてみたら?
逆に、この気持ちさえあればよいもの
「あ、いいな。描いてみようかな」
それでもやっぱりじょうずに描けるようになりたいという方は
コラム「絵がじょうずになるために」をご覧ください。