膠は腐る

日本画を描くときに絵の具を定着させる接着剤として欠かせない膠ですが、
「腐る」のです。

画材店で売られている固形の状態でしたら長期間(とはいえせいぜい数年)
保存できますが、絵を描くために湯煎して液状に溶いた途端、腐敗が進行し始めるのです。
腐ると何が起こるかというと、とにかく臭い!
そしてさらに重要な問題は、接着力がなくなるので膠としての用をなさなくなってしまいます。
どのくらいの時間で腐るかは条件によって違いますが、
真夏にクーラーも入れない暑い部屋に置きっぱなしにすれば
ひどいときには翌日には使えなくなっていることもあります。

膠の保存と扱い

ではどうするのかというと、食事のおかずの煮物をどう扱うか と似ています。
煮物を真夏の部屋に置きっぱなしにはしませんよね。
食べない(使わない)ときには冷蔵庫に入れ、ときどき火を通す(湯煎する)わけです。
膠は60度以上の温度で加熱すると固着力が弱まると言われているので、ぐつぐつ煮ないほうがよいのですが、
加熱して滅菌することで腐敗を遅らせることができます。
注意すべきは、ほっておいても水分が蒸発する上に湯煎するとさらに煮詰まって膠が濃くなるので、
適宜水か湯を加えて濃度に気を配るということです。
それでも1週間〜10日程度経た膠は、どんなに残りが余っていたとしても捨てましょう。
膠はけっこう頻繁に溶いて作り直さなければならないということです。
また、長期保存したいからといって冷凍してはいけません。
接着力が著しく落ちてしまいます。

腐敗しにくい膠

膠の中には防腐剤が添加されているものがあります。
「鹿膠(しかにかわ)」と呼ばれる製品がそれで、単独で使うと長期間腐敗しにくいようです。
一般的に使われている膠よりも価格が高いので、単独ではなくほかの膠に適量加えることで
多少の防腐効果を期待することもできます。

日本画をそれほど頻繁に描かない方は、
あらかじめ液状になっていて防腐剤が加えられた膠も市販されていますので、
そういったものを使うのも一案でしょう。

膠の捨て方

膠を捨てるときには、できるだけ燃えるゴミなどといっしょに捨てましょう。
膠も胡粉も、もちろん絵の具も、そのままシンクに流してはいけません。
環境汚染になることもあるでしょうし、長い間には排水口が詰まってしまいます。
容器にくっついた膠をできるだけ取り除いたら、あとは大量のお湯で溶かしながらであればシンクに流しても大丈夫です。

絵の具も腐る

さて、そういった膠を加えて溶いた絵の具も当然腐敗することにお気付きでしょう。
腐るだけでなく、膠で溶いた絵の具をほったらかしにすると絵皿に固着してしまうので
再び使うときに往生します。
ですので使い終わって余った岩絵の具は「膠抜き」をします。
絵皿に残った岩絵の具に熱湯を加え、よくかき混ぜるとお湯の中に膠が溶け出すので、
絵の具が沈殿したら冷めないうちに湯を捨てます。
かき混ぜるのには古い筆を流用すると具合が良いです。
それを2回繰り返せば膠分がほとんど抜けますから、
お湯を捨てたら絵皿ごと絵の具を乾燥させておけばよいのです。
膠抜きした絵の具を再び使うならば、乾燥したあとあらためて膠を加えて練ります。
沈殿しにくい絵の具、つまり粒子の細かい種類の岩絵の具や、水干絵の具、胡粉などは膠抜きできません。

お湯を加える
膠抜きのために湯を注ぐ
かきまぜる
古筆などでかきまぜる
湯を捨てる
湯を捨てる

胡粉の保存

胡粉は、膠単体よりも更に腐敗が早いようです。
胡粉も膠同様、使わないときには乾燥させないようラップなどをかけて冷蔵庫で保存しますが、
手間をかけて作った胡粉が1週間程度で使えなくなって捨てることになるのは残念ですよね。
どうしてもそれ以上の日数保存しておきたければ裏技があります。
膠と練り合わせて団子にした胡粉のかたまりを2つに分け、それぞれ百叩きしておきます。
すぐ使うほうはそのまま湯でアク出しをして溶きおろしますが、
もう一方の胡粉団子は保存用として容器に入れ、完全に水に沈めてフタをしておきます。
つまり胡粉団子を空気から遮断するわけですね。
その水を毎日取り換えるようにすれば1週間以上の長期間保存できます。
空気から遮断しても内部で腐敗は進みますから限界はあるでしょうし、
何日まで保存できるか検証したことはありませんが、
少なくとも溶きおろして使っている胡粉よりも腐敗は遅いはずです。

胡粉の溶き方について述べたコラムはこちら

膠の固着力

こういった膠の不便さを回避するために
アクリル絵の具用のメディウムなどを使って岩絵の具を溶いてもよいでしょうが、
そういったもので溶いた絵の具は絵皿の中でいったん乾燥すると溶き戻せなくなるので無駄が多くなります。
また、同じく彩色した画面も絵の具が完全に固着してしまいます。
膠の特徴を利用した技法のひとつとして、膠の濃度を調整して接着力をコントロールし、
重ね塗りしたあと表面の絵の具だけを洗い落として画面に調子を出す方法がありますが、
それは膠に、乾燥後も若干の湿度を保ち続ける能力があるためです。
アクリル系メディウムではその技法が使えなくなります。

そんな膠も、絵が完成して数年たつと画面が完全に乾燥しきって固着し、
ちょっとやそっとでは絵の具が落ちなくなります。
冒頭で、溶く前の固形の膠は長期間保存できると書きましたが、
あまりに長い年月が過ぎると固形膠に含まれるわずかな水分さえ完全に蒸発して
湯煎しても溶けない部分が生じることがありますから、古い膠には注意が必要です。

膠用の防腐剤

近年では絵画用の膠に対して効果のある防腐剤が市販されており、私も使用しています。
その防腐剤を添加すると、これまでは考えられなかったほど長期にわたって、
しかも常温保存してさえ膠が腐らないという画期的な効果が見られるのは事実です。
ただし膠の粘り具合が変化することがあったり、
さらには描き上がった作品の絵の具が長い年月のうちに変色したり剥落したりしないか・・・
といった検証にはまだ時間がかかりそうです。
食品もそうですが、添加物の影響というのは検証が難しく、
長い間信頼され続けてきた材料や方法は、多くの先人たちが身をもって安全性を確認してきたものです。
革新的な研究と保守的な考え方の両方とも大切なことですが、
膠に防腐剤を使おうと思っておられる方はどうかご自身の責任においてお使いくださるようお願いいたします。
誠に申しわけありませんが、当サイトへご質問等いただいてもお答えはできかねます。

なお、過去に防腐剤として一部の日本画家が使用していたホルマリンは劇薬であり、
現在は簡単に入手ができません。
その使用により視力を失った画家もいたそうですので、絶対に使用しないでください。