写生は塗り絵ではない

今回はちょっと専門的な話かもしれません。

描きたいものを観察しながら、スケッチブックあるいは用紙全体にまず鉛筆で線描きをして
それが終わったらようやく色を塗り始める・・・

何か変だと思いませんか?
私たちが何かを見て感動したときは、まず形がキレイと思って、
そのあとで色がキレイと思う、そんな順番はないはずです。
形も色も同時に目に飛び込んできて、両方合わせて心を動かされますね。
いや、それすら考えずにただ直感的に感動しているかもしれません。
その感動を無理やり形と色に分けて順に描いてゆくのはどう考えてもおかしいことです。
本来ならば鉛筆で形を描くのと同時に色もつけてゆくべきでしょう。

画材は表現を制約する

「画材」という、美術表現に何らかの制約をかける道具・・・
つまりうまく描けないときは消して直せないといけないでしょうし、
目にしたのと全く同じ色の絵の具や色鉛筆はなかなか見つからないこと。
そういった不便な道具を使わざるを得ない中では、
形を間違えたら消して描き直せる鉛筆を使い、
形に間違いがないことを確認した上で色を塗るという手順を踏むことが当たり前のようになっていますが、
そのやり方ですと鉛筆での線描きが終わった段階でやれやれと思い、色を塗るときにはすでに疲れてしまっています。

写生は、線で引いた形の中を塗る塗り絵ではありません。

線描きの途中で雨が降ってきてしまったらどうするのでしょうか。
あるいは、たとえば写生の途中で飽きたり疲れてしまっても、
まだ線しか描いてないから面倒で嫌だけれど描き続けるのでしょうか。

雨が降ってきたり、嫌になったらそこでやめれば良いのです。
その際、やめるときまでに描いた部分がたとえ描きたい範囲のごく一部であったとしても、
その部分だけでも完成していれば描いたという充実感も得られますし、
その完成部分を使って小さな本画作品を描くこともできるかもしれません。

多くの人は用意したスケッチブックの画面全部に対象物をどう配置するかを決めて写生し始めるようです。
「ここまで描こう」と自分の決めた範囲はすべて描き尽くし、それらはきちんと用紙におさまっていなければならないと。

用紙の大きさにとらわれず伸び伸びと描いてゆく

以前のコラムでも触れたように、タブロー(日本画や油彩画の本制作)ならば「構図」はたいへん重要ですが、
ここで言う写生はその前段階のものです。
対象物に心を動かされた自分の感情と、対象物との対話の結果を画面に留めるのが写生の目的ですから、
描いてゆくうちに紙からはみ出ることだってあるし、描き切らないうちにやめることだってあるでしょう。
はみ出たら紙をつぎ足せば良いし、描き切れずに用紙の大半が余っていたって全く問題ありません。

避けなければならないことは、例えば
「8号の日本画を描くと決めたから、面倒だけれど8号の写生をしておかなければならない」
というような考えです。
突っ込みどころ満載なのであえて解説しませんが、絵のことを熟知している方や私のコラムを読んでくださっている方には
この考え方にいくつもの問題点が含まれていることがよくおわかりだと思います。

自分の感情(感動した気持ちなど)を発露するのが美術・芸術の存在価値のひとつでもあるわけですから、
対象物を見て、描きたいと思った部分から、堂々とスケッチブックの真ん中に描き始めれば良いのです。
描きながら色をつけ、形の狂いを見直しながら・・・
いや、そんな客観的なことさえ忘れて主観的に写生に没頭できれば最高です。
もし形がおかしくなってしまったら、脇に「ここが長くなってしまった」とでもメモ書きしておけば良いでしょう。
形がじょうずに描けるようになるのを待っていたらいつまでたっても完成しません。
どんどん描けばいやでも上手になります。描くことが嫌にならないようにすることのほうが大切なのです。

また説教臭くなってきましたからこれで終わり!